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1974年~サンシャイン計画

  • 1974年~サンシャイン計画
    第一次石油危機が日本にもたらしたものは原油価格の高騰という厳しい現実です。国内に資源を持たない日本は、国家レベルではもちろん、一般市民レベルにおいてもエネルギーの問題を実感し、省エネルギーの必要性が声高に叫ばれるようになりました。

    日本政府もエネルギー問題の対策に乗り出します。当時の通産省は省エネルギーの推進や、石油の代替エネルギー開発を進めることを盛り込んだ「サンシャイン計画」を1974年に策定し、この時点から2000年までの長期的戦略が立てられました。

    サンシャイン計画ではクリーンな次世代エネルギーとして太陽エネルギーの利用が推進されていますが、当時はまだ太陽エネルギーのうち太陽熱の利用が主で、太陽光発電はまだまだコストの高いエネルギーでした。そこでサンシャイン計画では多結晶シリコン型という当時の主流であった太陽電池のコストダウンが目標とされました。この計画は後に順調に進展し、さらに低コストで大量生産が可能なアモルファスシリコン太陽電池の技術開発が進められました。

目次 (ダイジェスト)

  • 1973年~第一次石油危機
    中東産油国を巻き込んだ戦争によって、第一次石油危機が日本経済を直撃しました。しかし、これは結果として国家レベルで太陽光エネルギーに目を向けさせる契機となりました。
  • 1974年~サンシャイン計画
    第一次石油危機を契機に、日本は石油に依存しすぎる産業構造やエネルギー調達手段に対して再考を迫られました。それを受けて当時の通産省が策定したサンシャイン計画の具体的な内容と目的を見てみましょう。
  • 1980年~ソーラーシステム普及促進融資制度
    1980年は官・学・産が一体となった太陽光エネルギー開発体制が整い、同時にソーラーシステム普及の支援制度が設けられた年で、日本が太陽光エネルギー時代に向けて大きく舵を切った年でもあります。
  • 1993年~ニューサンシャイン計画
    エネルギーセキュリティを目的としたサンシャイン計画は、時代の流れとともに地球環境問題への取り組みへと変化しました。そのために策定されたのがニューサンシャイン計画です。
  • 1994年~新エネルギー導入大綱
    1994年の「新エネルギー導入大綱」によって、日本が国全体として、太陽光発電などの新エネルギーに対してどの方向に進むのかという指針が初めて示されました。
  • 1997年~京都議定書
    地球温暖化問題は一国の努力だけでは解決出来ません。そこで世界規模での枠組みづくりを目指した会議が京都で開催され、そこで採択されたのが京都議定書です。環境問題と関係の深い太陽光発電も京都議定書が一つの契機となりました。
  • 1999年~日本の太陽電池生産量世界一
    省エネルギー法は日本国内全体に省エネルギーを意識した建物づくりを浸透させました。それは結果として太陽光発電にとって順風となり、太陽電池生産量は世界一になります。
  • 2001年~太陽光発電システム技術研究開発
    優れた技術である太陽光発電ですが、一般的な普及を進めるにはまだまだ乗り越えなければならない課題点があります。具体的に数値目標を提示し、それを達成する能力のある研究機関を公募する制度がスタートしました。
  • 2002年~RPS法の成立
    2002年に成立したRPS法、そして翌年にはRPS法を根拠としたRPS制度がスタートしました。RPS制度が太陽光発電にもたらす影響について見てみましょう。
  • 2007年~現状について
    日本は太陽光発電をリードする国として、世界で利用されている太陽光発電システムの大半を生産しています。ところが、太陽光発電システムの設置数は、長らく世界一であった地位をドイツに追い越されてしまいました。
  • 2008年~展開について
    無尽蔵に存在し、地球環境への負荷が極めて低い太陽光発電は世界が大きな期待を寄せています。日本及び世界で太陽光発電は今後、どのような展開を見せるのでしょうか。

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